ある日の深夜、先輩研究者のもとに一本の電話がかかってきました。
「Yか?おまえ、プロレスのことどう思う?」
「あれはスポーツではないと思います。エンターテイメント・ショウです」
「聞き捨てならんな」
「何かお気にさわりましたか?」
「血ぃ、流しとるやないかぁ!」
「台本通りでしょうね」
「痛そうやないかぁ!」
「商売のうちでしょう」
「おまえ、生き方が間違っとる。破門じゃあ!」
電話がガチャリと切れました。
先輩研究者Yさんは、いったい何が起きたのか、しばらく把握できずに困ったそうです。
事態が把握できたら、今度は師匠の尋常ならざる怒りが、己に降りかかってきたことに困ったそうです。
困っていてもどうしようもないと気づいたYさんは、比叡山の中腹までタクシーを飛ばして師匠に謝りにいかれたそうです。
「例えショウでも、台本通りでも、商売でも、流血したら痛い、辛いに決まっとる。多少の論文が書けるコザカシイ研究者である前に、人の痛みが分かる人間であれ」
師匠は、Yさんに諭されたそうです。
小生今日まで、論文執筆マシンのような研究者に、たくさんお目にかかりました。師匠が最も忌避する人種でした。
師匠の理想は、人間らしくある、まさに血のかよった学問だったのではないでしょうか。
(続く…)