師匠の思い出(その6)

京大全共闘…泣く子も黙るとか、さわらぬ神に…なんて言われた集団でした。時計台本部構内を堅固なバリケードで封鎖していました。

全共闘幹部と京大当局の秘密交渉、そもそもそのようなものがあったのかどうか、今となってはわかりませんが、その場で交わされたという謎のやり取りが、半ば都市伝説となって独り歩きしています。

幹部「封鎖を解いても良い。ただし、条件がある。〇〇(私の師匠です)総長でいってくれ」

当局「呑めないことはない。持ち帰って検討したい」

幻の「〇〇総長案」というものです。もしも妥結していましたならば、全共闘側からの自主的な封鎖解除という、他大学には一つもなかった珍しい解決策ができあがるところでした。国家権力の横やりさえなければ…。

官僚「全共闘と話し合い?全共闘が人事介入?断じてまかりなら~ん!!!」

泣く子を黙らせるような怖~いお兄さんたちからも、たいへん慕われていた師匠でした。しかし文部官僚の受けは良くなかったようです。

京大闘争が武力「解決」されるその時を、師匠は遠く米国の虚空に迎えました。一年間の「遊学命令」、悪法もまた法なりと達観された師匠でした。

教授会に乱入してきたヘルメット・ゲバ棒学生に、「学生諸君、意見を聞こうじゃないか」と渡り合い、絶対主義天皇制なる奇妙な近代史パラダイムを歯牙にもかけず、「むしろ、天皇制資本主義」と看破される、こんな個性あふれる方だったからこそ、主義主張や立場を超えてマイノリティからも愛される師匠だったのでしょう。

懐の深い師匠でした。

(続く…)

学園前教室・杉浦