大阪通信 Vol.13 配布開始しました -全文公開します-

大阪通信 Vol.13、夏期講習前最終号、配布開始しました。

今号は、全文公開します。「全文読んだのは、初めて」という皆さん、あまりのヲタクぶりに、後ろ向きダッシュで逃げないでくださいね(笑)。

「前号で予告しましたとおり、6月30日(日)のテクテク日記「近つ飛鳥訪問記」を掲載いたします。

「なんや、また、飛鳥かいな?」とご失望の皆さん、今回は大阪府の飛鳥です。「飛鳥は奈良県やろ?」。いえいえ、大阪にも「飛鳥」があるのです。

はるか万葉の昔から、難波津からの距離を測って、近い飛鳥と遠い飛鳥があったのです。それぞれ「近つ飛鳥」、「遠つ飛鳥」と申します。「遠つ飛鳥」が奈良の明日香村、「近つ飛鳥」が今回訪問しました南河内のあたりです。難波津から竹内(たけのうち)街道を通って「遠つ飛鳥」に至るとき、竹内峠を越えるべく二上山南麓に向かう直前が「近つ飛鳥」ですね。

今回は近鉄南大阪線・上ノ太子(かみのたいし)駅から磯長谷(しながだに)を延々と歩いて行って来ました。ガイドブックによると、10時間コースだそうです(驚き)。

まずは源義家で有名な河内源氏の本拠地を散策、「何よりも古墳」派の私は、先を急ぎます。磯長谷には、欽明大王の子供たち、敏達、用明、推古や、用明の息子・厩戸(うまやど)皇子の奥津城があります。敏達陵だけが前方後円墳、他は巨大な方墳ですね。

もともと古代の磯長谷は蘇我氏の本貫地だったそうで、遠つ飛鳥が蘇我・物部戦争の勝者である蘇我氏の都となったあとに、蘇我系の天皇の改葬地になったようです。用明陵からしばらく、天武系皇統が始まるまで、前方後円墳が消滅し巨大方墳の時代が始まります。(ちなみに天武系は八角墳を造ります。)

推古陵が丸ごと見えるビュースポットがありました。太子町立・竹内街道歴史資料館からしばらく歩いたところです。遠くから見ても、デカイです。近くから見ると、やはりデカかったです。遠つ飛鳥の蘇我馬子墓・石舞台古墳は、これよりもデカかったそうで、前方後円墳のように墳丘を盛り上げなくて良くなったぶん、面積で勝負かな…と思いました。

そうこう歩いている間に、近つ飛鳥博物館と隣接する風土記の丘へ。6月30日までの特別展「百舌鳥・古市古墳群、出現前夜」へ。5世紀、突如として出現するかに見える河内の巨大古墳、誉田山古墳(応神陵)を盟主とする古市古墳群と大仙古墳(仁徳陵)を盟主とする百舌鳥古墳群、4世紀以前の前史はいかに?

驚きました。と言いますか、自らの不勉強を恥じました。4世紀の河内は、造られた古墳を見る限り、三輪山麓や佐紀盾列の初期ヤマト王権の陵墓と深い関係、いや深いどころか、ほとんど相似形にあったんですね。祭祀王権といった雰囲気の強い初期ヤマト王権ですが、河内でもソノマンマだったのです。

…となりますと、5世紀ヤマト王権に文献史学の側から与えられたさまざまな冠、たとえば直木孝次郎先生の「河内王権」、江上波夫先生の「騎馬民族王朝」など…が、かなり苦しくなってきます。これらは、5世紀の河内に、初期ヤマト王権(=祭祀王権)とは隔絶された、巨大前方後円墳を営む勢力が突然に登場してくることを前提としていますから。

むしろ文献史学とは逆に、考古学の成果が示すものは、河内においてもヤマト盆地と同様に段階的に発展する王権の姿であり、「突然性」の否定以外の何ものでもないのですね。

それでは記紀に記される神功皇后の筑紫(~新羅)遠征、仲哀大王の横死、胎中天皇たる応神大王の登場、そのヤマト入りを拒否する香坂王、押熊王の謀反…というドラマは、何を語ろうとしているのでしょうか。

もしかすると、5世紀に至るまでに徐々に我が邦の生産力を高めていった諸条件、たとえば自前の鉄生産が可能になっていくとか、馬を飼いならすことができるようになっていくとか、総じて武具と馬具が進化していくとか、そんな段階的発展過程をセンセーショナルに脚色しすぎたのではないか、そんなことを考えてしまいました。

しかしながら、4世紀の後半を期して三輪王権が衰退し、佐紀・馬見勢力が台頭してくること、葛城山・金剛山を奈良側と大阪側に挟んで葛城氏と古市・百舌鳥王権ともう言うべき勢力が覇権を示すこと、これらも考古学が実証してきた事実ですから、無碍に否定するわけにはいきませんね。

…と、場所柄もわきまえず頭を抱えて座り込んでいる私を、妻が常設展示室に連れて行ってくれました。そこには大仙古墳のミニチュアと、それを造営する土師集団、宴を催す大王、祈りを捧げる祭祀者、なんとステキな世界でしょう。驚くべきことに天井には360度の広角カメラと手元操作のズームスイッチが…。玄関を一歩出ると、40あまりの見学可能な石室と200あまりの横穴石室が…。

「蘇我馬子に謀殺された崇峻大王は、ここに眠らせてもらえなかったんだよね。桜井忍坂の赤坂天王山古墳に眠ってる。逆に中大兄に嫌われた孝徳天皇は、ここ、蘇我の本貫地に眠らされているんだよね。多くの古墳と博物館に囲まれて幸せすぎる私は、なぜか、人にとって幸せって何なんだろう…と考えてしまうね」。この独り言を妻が聞いていたかどうか、私にはわかりませんでした。

さて、いよいよ夏休みですね。こんどは皆さんの幸せ(=入試合格)のために、私が頑張る番です。夏休み明け発行の大阪通信Vol.14では、夏休み、たくさんの幸せを感じていただいたご報告をさし上げたいです。みなさんといっしょに、がんばります!」